沿革

江戸時代(寛永十五年)初代牛嶋甚左衛門尉正隆は、
水に恵まれた米処 肥後・吉野郷(現氷川町)にて純良なもち米を材に米飴屋を営みはじめました。
以後綿々とこの地に根ざし、米飴・白玉粉・白玉菓子造りに励み三七〇有余年。
家業である「白玉屋」の名に恥じないおいしさ造りに勤しんで参る所存でございます。

当時、白玉粉は超がつくほど高級品でした。
白いご飯を毎日食べられるのは一部の恵まれた階級の人たちで、ましてや餅は祭りと正月などにしか使わない「特別な米」でしたから、
それを更に手を加えて美味しく食べやすく、調理も簡単な白玉粉は上方へ献上されていたようです。

江戸時代の屋号は吉野屋。(昭和33年)合資会社牛嶋新三郎商店設立。「白玉屋新三郎」を商標登録しました。
本店の場所は、砂川の河口にあり舟を使って長崎を経由した内水面交通の港でもあり、
製造に必要な大量の良質の水に恵まれたところです。現在では海上交通の便はありません。

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